祇園祭 「神事済奉告祭」
祇園祭の無事終了を神前に奉告し、神恩に感謝する神事。
場所:八坂神社
日:7月29日
時間:午後4時~
お問い合わせ:八坂神社 TEL075-561-6155
カテゴリー: 祇園祭特集
祇園祭の無事終了を神前に奉告し、神恩に感謝する神事。
場所:八坂神社
日:7月29日
時間:午後4時~
お問い合わせ:八坂神社 TEL075-561-6155
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山鉾巡行は以前、17日の「前祭」、24日の「後祭」の2回に分かれていたが昭和41年より17日に統一された。山鉾の古い形態を再現するねらいで始まったのが花傘巡行。傘鉾10基を中心に、花車、祇園太鼓、幌武者、児武者、さぎ、田楽、獅子舞、六斎念仏、万灯おどりなどの約1000人の行列が八坂神社から寺町通、四条御旅所を巡行する。花傘巡行は山鉾巡行と違って大変華やかなもの。
巡行順路:祇園石段下(八坂神社)→四条河原町→御池通→寺町通→四条御旅所→四条通→東大路右神幸通→八坂神社
場所:八坂神社出発
日:7月24日
時間:午前10時~正午
お問い合わせ:八坂神社 TEL075-561-6155
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京都琵琶協会の人々により、八坂神社境内の能舞台で琵琶演奏の奉納が行われる。
場所:八坂神社
日時:7月23日 午後4時~
お問い合わせ:八坂神社 TEL075-561-6155
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幕末維新で命を捧げた新撰組隊士や、佐幕勤王等数多の志士の霊を慰めると共に、新撰組発足の地京都で、新撰組を永く語り継ぐためにと京都新選組同好会が、新撰組祭を開催する。壬生寺から八坂神社までの四条通を歩く。今年で31回目を迎える。元治元年(1864年)に、三条小橋の池田屋で倒幕派の浪士が集まり、旧暦の6月20日前後の風の強い日に京の町に火を放ち、その混乱の中、天皇を奪い倒幕戦を起こすという情報を得た京都守護職御預かりの新撰組が、京の治安を守るために出動したのが、池田屋事変である。その日は祇園祭の宵々山の夜だった。
日:7月16日
時間:午後4時 壬生寺出発
コース:壬生寺~八坂神社(四条通)
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昭和24年から毎年開催される伝統芸能大会。「祇園祭」を祝い境内の能舞台で催される。今様歌舞楽、一絃琴、琵琶、狂言など多彩な演舞、音色が響く。
場所:八坂神社
日:7月15日
時間:午後3時~午後6 寺
お問い合わせ:八坂神社 TEL075-561-6155
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各山鉾町の町屋では格子をはずし、旧家や老舗が屏風や掛け軸など通りから見えるようにして飾る。虫干しを兼ねて飾り付け、最高のしつらえをして客人を迎えるしきたり。
場所:山鉾町有志の町家
期間:7月14日~7月16日
時間:午前11時頃~
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夕方から、山鉾に吊られた駒形提灯に火が灯る。祇園囃しが流れ、たくさんの人で賑わう。通りも歩行者天国になる。
期間:7月14日~7月16日
時間: 午後6時~
歩行者天国:午後6時~午後11時
四条通:堀川通~河原町通
烏丸通:御池通~仏光寺通
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「下り観音山」とも呼ばれ、後祭巡行の最後をいく曳山。北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性といわれている。東海道五十三次や指南の語源となった華厳経の説話において、善財童子が順に教えられた53人の聖者を訪ねて南へ南へと菩薩道修行をした話に取材する。28番目に訪ねた観音は美しい南海のほとりに住み、あらゆる苦悩から人々を救うことを教えた。楊柳観音像と善財童子像を祀っている。山の上に立てた真松には北観音山と同じく木彫りの尾長鳥がとまっている。また、巡行の時には山の後ろから柳の大枝を垂らし、観音山の特徴を示す。山の四隅からは、菊竹梅欄の木彫の薬玉を垂らしている。天水引は、塩川文麟下絵の「四神の図」。下水引は、「繻子地雲龍図縫伏」と加山又造原画による「飛天奏楽」。見送は、加山又造作の「龍王渡海図」。古見送として、中国明代の「雲中青海波文様」綴錦。宵山では厄除けのお守りが授与される。場所は、新町通錦小路下ル。
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山鉾町最北の山。修験道の開祖である役行者(小角)が、一言主神を使って葛城山と大峰山の間に石橋をかけたという伝説に由来する。ご神体の人形3体はその役行者をまん中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。人形が多いだけ山のサイズも最大級。水引は、西山勘七作の唐子遊図。前懸は、牡丹胡蝶図と雲龍文様の三枚継ぎ。胴懸は、雲龍波濤文様の綴錦。見送は、金地唐美人図錦綴。古見送は、金地唐美人図綴錦と、赤地古金襴で縁取った龍図絽刺の2種類。真松に鈴がつけられている。宵山では疫病除けのお守りが授与される。場所は、室町通三条上ル。
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人物でなく、魚をテーマにしている唯一の山。テーマは登龍門の故事。中国の黄河中流にある龍門の滝を上る鯉の姿を表している。龍門の滝をのぼる鯉は龍になるとの言い伝えがある。鯉の像は、左甚五郎の作。山の奥に素戔嗚尊を祀っている。前掛けや胴懸、水引、見送りは16世紀のベルギー・ブリュッセル製毛綴「トロイア王の図柄」で、重要文化財に指定されている。欄縁その他の金具は全て波濤文様。鯉山では立身出世のお守りが授与される。場所は、室町通六角下ル。
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組立が完了した山鉾が、祇園囃子を奏でながら本番さながらに町内を試し曳きする。
長刀鉾:7月12日 午後3時30分~午後4時30分
函谷鉾:7月12日 午後2時
鶏鉾:7月12日 午後3時
月鉾:7月12日 午後3時
菊水鉾:7月12日 午後3時
放下鉾:7月13日 午後3時
船鉾:7月13日 午後3時
北観音山:7月13日 午後3時~4時
岩戸山:7月13日 午後3時
南観音山:7月13日 午後3時
橋弁慶山:7月14日 午前11時
*都合により変更あり
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伊勢の国・鈴鹿山に棲み人々を苦しめていた悪鬼を退治した、鈴鹿権現、瀬織津姫命を祀っている。瀬織津姫命は女人の姿で、金の烏帽子をかぶり長刀を持っている。後の山には、赤熊で象徴した悪鬼の首が置かれている。欄縁金具は、山鹿清華下絵の豪華な四季花鳥文様。前懸は、シルクロード商隊ラクダが描かれた「黄砂の道」毛綴。見送は、皆川月華の染彩「ハワイ蘭花図」。胴懸の百仙人綴錦は中国清朝時代の作品で、中国故事人物図を繋ぎ合わせて作った屏風綴幔幕。山に立つ松には、鳥居、木立、松と宝珠を描いた絵馬が吊されている。これらは巡行後に盗難除けの護符として授与される。宵山では、雷除け、安産の絵馬付き粽が出される。場所は、烏丸通三条上ル。
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「平家物語」の宇治川の合戦から取材。一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して先陣をとった故事にちなむ。御神体は、浄妙坊が橋桁を渡って一番乗りをしようとしたところ、一来法師が浄妙坊の頭上を飛び越え先陣をとった瞬間の両者の姿。浄妙のよろいは室町時代のもので、重要文化財。胴懸は、長谷川等伯原画の「柳橋水車図」の綴錦織で、宇治川にちなんでいる。古胴懸はビロード織の「琴棋書画図」。水引は、波濤文様の彫刻が用いられている。見送は、本山善右衛門が織った「雲龍文」。山の趣向にちなんで、宵山では勝ち守りが授与される。場所は、六角通烏丸西入。
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石清水八幡宮を勧請して町会所の庭に祀った八幡宮を、山の上に祀る。社殿は江戸時代後期天明年間の作と伝えられ、総金箔。前面の朱塗りの鳥居の笠木のうえに、向かい合って八幡さんのシンボルの白鳩が2羽止まっている。この木彫胡粉彩色の鳩は左甚五郎の作。欄縁の「飛鶴」の彫金は、工芸家河原林秀興の作品。水引は、チョン・スクヒャン原画による「十長生図」刺繍。古水引は、金地花鳥仙園図唐繍。前懸は、「慶寿群仙図」。見送は、「日輪双鳳人物文様」の綴錦と「藍地雲龍文様蝦夷錦」。その他、保存庫には江戸期の画家、海北友雪による祇園祭礼図屏風(京都市指定有形文化財)が所蔵されている。宵山では、夜泣き封じのお守りである鳩笛や鳩の土鈴が授与される。場所は、新町通三条下ル
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謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大友黒主が杖をつき、桜を眺める姿をテーマにしている。御神体の人形は辻又七郎狛之澄作。前懸は、「五爪龍文様錦」。水引は、雲龍文様の繻珍。胴懸は、草花胡蝶文様の綴錦。後懸は、「飛龍文様錦入刺繍」。見送は、17世紀中国製の「牡丹鳳凰文様綴錦」、「紅地唐子嬉遊図」を交替で使用している。欄縁の飾り金具は、桜、椿、紅葉、菊などの透かし彫り。山の上に飾る桜の造花は、家の戸口に挿しておくと魔除けになるといわれている。場所は、室町通三条下ル。
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中御座と呼ばれる神輿の前後に松明を点し、八坂神社から四条大橋まで神輿を担いで行き、 鴨川の水を使って神輿を清める儀式。神輿を鴨川の水で清める際、この御神水が体にかかると無病息災の御利益があるといわれている。
場所: 四条大橋
日:7月10日
時間:午後8時~午後8時30分
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神輿洗いで舞や提灯にあかりを灯して全国の神様を歓迎する行事。コースは、八坂神社~四条河原町~市役所前~寺町四条~八坂神社。鷺踊や小町踊の披露が行われ、趣向を凝らした各種の提灯を持って行列する。
場所: 八坂神社
日:7月10日
時間:午後4時30分~午後9時
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山の御神体は、五条大橋の上、牛若丸が左足の下駄の前歯一枚で欄干のぎぼしの上に飛び上がり、弁慶がなぎなたを構えるシーン。舁山で唯一のくじ取らずで、長い間後祭りの1番で巡行していたが、北観音山の復活で、2番手として巡行している。山籠も真松もなく、山の中では屈指の古いもの。弁慶と牛若丸の人形は大変古く、永禄6年平安大仏師康運作の銘があり、また、牛若丸の鉄串には美濃国住人、右近信国の銘がある。橋は黒漆塗。前懸は、富岡鉄斎の原画による「椿石霊鳥図」綴錦。胴懸は、「賀茂葵祭礼行列図」綴錦は、円山応挙の下絵とされている。水引は、百子文様綴錦。後懸は、雲龍文様の刺繍。場所は、蛸薬師通室町東入。
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後祭りの山鉾巡行の先頭を行く山で、「上り観音山」とも呼ばれる。創建は文和2年で、応仁の乱の時代から隣町の南観音山と1年おきに交代で山を出していた。もとは舁山だったが、後に曳き山になった。山の上に楊柳観音像と韋駄天立像を祀っている。鉾ではないので真木の代わりに松を立てる。松は、毎年鳴滝から2本届けられ、南観音山とクジを引いて松の所有を決めている。破風下の木彫雲鶴は、片岡友輔作。天水引は、金地錦観音唐草模様と雲龍図を隔年に使用。下水引は、中島来章の下絵による唐人物王侯行列風俗。胴懸類は、以前は17~18世紀の花文インド絨毯を用いていたが、現在は、前懸は19世紀のメダリオン中東連華文様ペルシア絨毯、胴懸はトルキスタン絨毯、後懸は19世紀の中東連花葉文様ペルシア絨毯。見送は、17世紀中国、明朝の日輪鳳凰百子嬉遊図綴錦。古見送は、絽刺の金地縫詰道釈人物図。山鉾巡行の際、山の後ろに差し出している柳の枝は、観音懺悔にちなんだもの。場所は、新町通六角下る。
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聖徳太子を祀る山。聖徳太子が四天王寺を建立する時、自らが良材を求め山に入り、老人に教えられた大杉の霊木で六角堂頂宝寺を建てたという伝説に由来する。山鉾の真木は松をつかうが、この山のみ杉を立てる。御神体の太子像は江戸時代の作品で、トレードマークの鬟に髪を結び、ふっくらした顔だちで白二重小袖姿の少年像。右手に斧、左手に衵扇を持っている。前掛は、秦の始皇帝を描いたもので、緋羅紗地に「阿房宮」刺繍。胴掛は、「金地孔雀唐草図」インド刺繍で、地の部分が金糸で刺繍されている。水引は、濃紺の組紐による七宝編み。見送は藍地龍文様で、官服を裁断した綴錦。角金具は羽ばたく飛龍を彫ったもの。真木の杉には如意輪観音像を祀った厨子をかけている。仏教の基を築いた聖徳太子にちなんで、宵山では知恵のお守り、杉守りが授与される。場所は、油小路通仏光寺下ル。
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平安時代の歌物語「大和物語」に基づく謡曲「芦刈」が由来。故あって妻と離れて難波の浦で芦刈る老翁がやがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿を表している。御神体、衣装ともに山鉾のなかでも屈指の古さ。人形の頭には、天文6年の銘が、また小袖には天正銘があり、重要文化財に指定されているが、現在の衣装は最近作られたもの。前掛は、山口華楊画のライオンを描いた凝視図。胴掛は、緒方光琳の六曲屏風を元にした燕子花図綴織。見送は、山口華楊画の鶴図。欄縁の彫金飛雁の錺金具は、川辺華挙下絵による藤原観教作。山の正面 、側面に芦の造花が飾られる。場所は、綾小路通西洞院西入ル。
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鉾の組立が各鉾町で始まる。釘を1本使わずに、全て藁縄がらみの伝統技法で組み立てられる。通行止めなど交通規制がかかるところもある。
場所:各山鉾町
期間:7月10日~7月14日
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中国、唐の時代の長恨歌などの名詩で有名な詩人白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところを表現している。2体の人形の唐冠を付けたほうが白楽天、帽子をかぶった僧形が道林禅師の像。大火の時に胴懸や人形の胴を失い、その度に復元を繰り返してきた。水引は孔雀や麒麟などの禽獣金絲で縫いつめた刺繍、前掛は蟷螂山より買受けた毛綴の三枚つぎ。この毛綴はトロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図(タペストリー)の優品であり、滋賀県大津市の大津祭の月宮殿山見送と相幅である。胴掛は、水引と同様に、フランスより購入した17世紀製毛綴。見送は山鹿清華作の北京万寿山図綴織を用いている。場所は、室町通綾小路下ル。
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永正年間に京都が大火にあった際、急に霰が降ってたちまち猛火は消えた。このとき霰と共に一寸二分(約3.6cm)の小さな天神様が降りてきたため、これを火除けの神様として祀ったことが由来。以来火除けの神様として祀られたのがおこり。大火の時もこの山だけは残った。別名「火除天神山」とも呼ばれる。両側と後面を透塀とし、真松の代わりに若松12本を塀内に並べ、社殿の屋根を大きくし山胴を廃し鳥居内に榊一対と紅梅2本を立てるという独特な山。前掛は中国刺繍「太湖岩鳳凰図」。宵山では子供達が「雷(らい)よけ火よけのお守はこれより出ます...」と歌いながら受付をする。場所は、錦小路通室町西入
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町名(風早町)の由来であるお公家さん、風早家の屋敷があり、この屋敷に祀られていた天神像菅原道真を社殿に祀る山。油小路通にあるところから油天神山と呼ばれるようになったが、勧請の日が丑の日だったため、別名「牛天神山」とも呼ばれる。山は、立派な朱塗りの鳥居が特徴。天神さんと関係深い紅梅が松と一緒に立てられている。社殿両脇の随身の板絵は駿河台狩野家の祖、狩野益信の筆とされるもの。前懸は、龍図錦織「瓜木波濤雲龍文」。胴懸は「雲龍文繻子地錦」。宵飾の胴懸に、19世紀カザフ絨毯。水引には、龍鳳文様の刺繍や復元新調された「花色七宝繁編網房」がある。見送は、山の所在地近くで生まれた梅原龍三郎の原画による富士山の絵をもとにした綴織「朝陽図」。古見送は、名高い毛綴の宮廷宴遊図。御神体の学問の神様菅原道真にちなんで、宵山では進学成就のお守りと絵馬が授与される。場所は、油小路通綾小路下ル。
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世阿弥の謡曲「木賊」に取材する。我が子を人にさらわれた木賊刈りの翁が、信濃国園原の里で別れた愛児を思いながら一人木賊を刈っていると、都の僧が偶然にも子どもを連れて現れ、父子は再会できた。桃山時代の作品で、御神体は元禄5年(1692年)の墨書銘があり、右手に鎌、左手に木賊の束を握っており、欄縁の上部にも御神体を囲むように木賊が配されている。見送は,中国明代の「鳳凰牡丹図」綴織を復元新調したもの。旧見送としては、仙人聞香図の錦綴がある。水引は道釈人物刺繍と、復元新調された「日輪鳳凰文様」。旧水引には,中東幾何学文様イギリス織絨毯。前掛、胴掛、見送はどれも彩り豊かな逸品で、それら装飾品と御神体の悲しげな表情の対比が見所。場所は仏光寺通西洞院西入ル。
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古事記、日本書紀に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事にもつ。元来は舁山だったが、室町時代に、鉾と同様に車をつけた曳山に改造された。「天の岩戸」の神話では、素戔鳴尊の乱暴に天照大神が岩戸に隠れられたため、世の中は暗闇となり、八百万神は安の河原に集まって対策を練り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、500個の勾玉をつくり、天香山の榊を立て、天鈿女命が舞を踊り、大宴会を行って天照大神を招き出した。御神体は屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。鳥居には常世の国の尾鳴鳥もとまっている。また、鉾頭の替わりに松を立てている。前懸は、玉取獅子図中国絨毯。胴懸は、唐草文様インド絨毯。屋根裏の「金地著彩草花図」は、今尾景年作。前後軒裏の「金地著彩鶺鴒図」は、その弟子の中島華鳳による作品。下水引は波鳳凰文様刺繍、天水引は緋羅紗地鳳凰丸刺繍で、両者とも明治の作品。見送は、「日月龍唐子嬉遊図」の綴織、皆川泰蔵作のロウ染「ベネチア図」。宵山では、天照大神にまつわる護符が授与される。場所は、新町通仏光寺下ル。
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縁結びの山として有名な保昌山。明治初年までは「花盗人山」と呼ばれていた。丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材する。保昌は、恋する和泉式部から、御所の紫宸殿前の紅梅を手折ってほしいといわれ、苦労して一枝手折ったものの、北面の武士に発見され、矢を放たれた保昌。矢が頭をかすめたが逃げ帰り、ようやく紅梅を持ち帰って恋を実らせた。前掛と両胴掛が円山応挙の円熟期の下絵として特に有名で、屏風に仕立てて保存されている。水引は孔雀の羽を縫い込んだ刺繍の逸品で、前掛、胴掛も刺繍。見送は、福禄寿と弁財天に唐子を配した「寿星図」綴錦で、寛政10年の作品。古見送である中国明代の「仙人図」刺繍は掛け軸として保管されている。山は、紅梅を手折ってくる保昌の姿を表している。故事にちなんで宵山では、盗難除け、縁結びのお守りが授与される。場所は東洞院通松原下ル。
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神功皇后が、肥前の国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという故事による由来。釣り竿を持った人形は、神功皇后の姿をかたどっている。御神体は面を付け長い黒髪に金烏帽子を冠り、右手に釣竿、左手に鮎を持っている。別名「鮎釣山」と呼ぶ。また、明治時代までは、「あいわい山」の別名で呼ばれ、町衆に人気のあった山であったことをうかがわせる。前懸と胴懸は、日本三景を描いた逸品。水引は,在原業平など三十六歌仙を描いたもの。神功皇后は安産の神として祀られていて、宵山では、安産のお守りと腹帯が授与される。場所は、錦小路通室町東入ル。
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中国晋代の琴の名人伯牙は、友人鍾子期の訃報を聞いて、悲しみのため琴の弦を断ったという故事に由来する。唯一中国風に統一された珍しい山。ご神体の人形は手に斧を持ち、前には琴が置かれている。怒りの目と紅潮した頬を持ち、伯牙がまさに琴を打ち破ろうとしている様を表している。別名「琴破山」ともよばれる。前掛は中国明代の名品で、水引や胴掛、見送などは、日本製のものであっても図柄は中国風と、すべてが山の趣向に合わせ調和が図られた山。場所は姉小路通り新町西入ル。
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7月17日に行われる山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が昨日行われ、今年の巡行順が決まった。順番は以下の通り
1:長刀鉾ー2:郭巨山ー3:霰天神山ー4:蟷螂山ー5:函谷鉾ー6:油天神山ー7:四条傘鉾ー8:占出山ー9:鶏鉾ー10:太子山ー11:白楽天山ー12:木賊山ー13:月鉾ー14:孟宗山ー15:綾傘鉾ー16:山伏山ー17:菊水鉾ー18:伯牙山ー19:芦刈山ー20:保昌山ー21:放下鉾ー22:岩戸山ー23:船鉾ー24:北観音山ー25:橋弁慶山ー26:黒主山ー27:八幡山ー28:浄妙山ー29:鈴鹿山ー30:鯉山ー31:役行者山ー32:南観音山
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中国の史話、二十四孝の郭巨釜堀りの故事に由来する。貧しくて母と子を養えない郭巨が、子を山に捨てようしたとき、土の中から金の釜が現れ、母に孝養を尽くしたという。別名、「釜掘り山」という。山には屋根がないのが普通だが、この山は日覆障子を乗せている。金地彩色法相華文の板絵として他の山にない古い形式を残している。人形は、鍬を持つ郭巨と紅白の牡丹の花を持つ童子の2体。前懸は、上村松篁筆の秋草図。胴懸は、上村松篁氏による「花の汀図」および「春雪図」。見送は、上村松篁筆の「都の春図」の綴織。後懸は、上村松篁氏の下絵による桃山時代の屏風を原画にした「阿国歌舞伎図」綴織。場所は、四条通西洞院東入。
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昔、八坂の法観寺の塔が傾いたとき、法力によって直した山伏、浄蔵貴所の大峯入りの姿をあらわしていて、山に飾る御神体が山伏の姿をしていることから、山伏山と呼ばれる。ご神体は、左手に刺高数珠を、右手に斧を持ち、腰には法螺貝をつけている。正面の水引は、雲中の竜、青海波と麒麟を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの。見送りも中国・明時代のものを復元した龍波濤文様の綴錦。宵山には聖護院の山伏たちの巡拝もあり、神前に供える三宝も仏式の黒塗りのものが用いられる。場所は室町通蛸薬師下ル。
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別名「たけのこ山」とも言う。中国の史話「二十四孝」呉の国の孟宗は、病気の母の為に好物のたけのこを求めて、雪の竹やぶを歩き回り掘り当て母親に与えたところ元気を回復したという故事にちなんだ山。町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町というのもこれに由来する。御神体の人形は七条大仏師康朝左京の作といわれ、唐人衣装に笠をつけ、右手に雪のかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立っている。肉筆墨画の見送は竹内栖鳳の作品で、白綴地に墨一色で描かれた「孟宗竹林図」極彩色が多い山鉾のなかで、墨一色が異彩を放っている。 親孝行の護符とちまきが売られ、ちまきには雪を形にしたものがついている。場所は烏丸通四条上ル。
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応仁の乱以前に起源をもつ山で、かまきり山とも呼び、文字どおり屋根の上のからくりを施したカマキリが御所車の車輪が動くとカマを振りあげて動く。「蟷螂の斧を以て降車のわだちをふせがんと欲す」という中国の詩文にちなんだもので、自分の力のほどをわきまえずに大敵に立ち向かうことで勇敢さを賞した中国の君子の故事に由来する。南北時代足利義詮と戦って死んだ当町在住の四条隆資卿の武勇ぶりが蟷螂の生態に似ていることから、渡来人で当町居住の陳大年が彼の死後25年目の1376年(永和2年)に、四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのが始まりといわれる。その後、幾度の戦火で1857年(安政4年)を最後に巡行しなくなったが、1979年(昭和56年)に再興、巡行へ復帰した。山鉾の中で唯一からくりが施されている。場所は西洞院錦小路下ル。
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日本書紀の神功皇后の新羅出船に由来する。出陣の船鉾の別名を持つ。神功皇后の説話によって鉾全体が船の形をしていて舳には金色の鷁、船尾には螺鈿細工の飛龍文の舵をつけている。屋形内に飾られた神功皇后の人形は、面を着け、頭に天冠を頂き紺金襴の大袖に緋の大口、緋縅の大鎧を付けている。巡行の時に鉾の上には神功皇后と磯良、住吉、鹿島の三神像を祀る。応仁天皇を生んだゆかりから、ご神体にまかれたらさらしは巡行後に安産祈願の御腹帯として授与する習慣がある。現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。高さ1.3メートル、両翼端2.7メートル。場所は新町通綾小路下ル。
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鉾の名前は、真木の中ほどの天王座に放下僧の像を祀ることに由来する。放下とは、妄念や者への執着を捨てて俗世間を解脱することで、放下僧は街角で芸をしながら仏法を説いた僧。鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し,形が洲浜に似ているため「すはま鉾」とも呼ばれる。明治中期に胴組や天井、屋根などが大改装され、四条円山派の画家、幸野楳嶺下絵の破風正面の3羽の丹頂鶴など明治以降の工芸装飾が楽しめる鉾。また、以前は長刀鉾と同様「生稚児」であったが、昭和4年から稚児に替えて、鉾上で稚児舞ができる唯一の操り稚児人形「三光丸」を乗せている。場所は新町通四条上る。
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117年ぶりに巡行に復帰した棒振りの子供が舞う昭和最後に復興した傘鉾。応仁の乱以前に起源を持っているが、明治5年以降消滅同然となり、道具類も散逸していた。1985年に傘鉾本体が再興されて路上に飾る居祭の形で祇園祭に復活した。1988年には傘鉾の巡行に欠かせない棒振り囃子の復元と共に117年ぶりに巡行へ復帰。祇園唐草模様の大傘に錦の垂で飾った花傘は応仁の乱以前の傘鉾の原形を伝える。棒振り囃子は室町時代に京都から広まった風流踊。1988年に復元した踊りは、子ども8人が赤熊鬼面の棒振りなどを演じる。場所は四条通西洞院西入。
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動く美術館と呼ばれる鉾で、32の山鉾随一の工芸装飾 。鉾頭に新月型(三日月)をつけているので月鉾と呼ばれている。古事記によれば、伊弉諾尊が黄泉の国から戻り、禊祓いをされたとき、左眼を洗って天照大神、右眼を洗って月読尊、このあと、鼻を洗って素戔鳴尊を生んだ。月読尊は夜を支配した神だが、水徳の神でもあり、この故事に由来する。左甚五郎作と伝えられる彫刻、円山応挙の屋根裏絵画、天井の源氏五十四帖扇面散図などその華麗さ豪華さは山鉾の中でも屈指のもの。鉾頭に、横40センチ、上下24センチの田辺勇蔵氏寄進の18金製の三日月。真木の中ほどの天王座には、月読尊を祀ってる。元治元年の大火にもわずかに真木を失っただけだった。場所は四条通室町西入る。
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町内の金剛能楽堂内に古くからある井戸の菊水井にちなんで名付けられた鉾で、謡曲「菊慈童」から着想された鉾。魏の文帝の勅使が薬水を訪ねて山に入ったところ少年に出会う。聞けば、少年は700年前に、王の枕を誤ってまたいだのが原因で都を追われたが、普門品の偈を甘菊の葉に記しておいたところ露が滴り、この水を飲んで不老長生したという。慈童は、この薬水を勅使に献じた。昭和28年に復興。鉾頭には天に向いた金色の16菊。この鉾に限り「菊水」と篆書が掘り出した額がつく。鉾の特徴である唐破風屋根は、綾傘鉾が江戸末に小型の鉾になった時、30年間用いただけで他に例はない。この屋根形は平安時代に日本で生まれたが、異国風なので唐破風の名が付いた。鉾を誘導する音頭取は侍烏帽子に菊の葉形の団扇を持つ。稚児人形は菊慈童で能装束の舞姿である。 不老長寿と商売繁盛のちまきが売られている。場所は室町通四条上ル。
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重要文化財の円山応挙やその一派による見送と、円山応挙やその流れをくむ四条派の下絵による水引の図柄が有名な鉾で、中国古代の伝説「諫鼓」、天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事にちなむ。唐の堯の時代は天下がよく治まっていて、訴訟用の太鼓(諫鼓)も使われることがなくなり、鶏が巣を作ったという故事に由来する。鉾頭の紅白を互い違いに巻いた三角形の中の円盤は、鶏卵が諫鼓の中にあることを表している。真木の中ほどにある天王座には航海の神である住吉明神を祀っている。場所は室町通四条下ル。
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歴史は古く応仁の乱以前の鉾で、徒歩の傘鉾として、大きな2つの傘と棒振りばやしの行列が特徴。しかし元治元年に焼けて以来、明治12年~明治17年に一時復活したがふたたび中断。昭和54年に巡行を再開した。江戸時代には、徒歩から引き鉾に変化し、御所車風の屋根に風流傘が乗る古図が残っている。明治の復活では再び徒歩の巡行に戻った。棒振り囃子は、鬼形の踊り手を中心に、赤熊鬼面をかぶった棒振り、鉦、太鼓、笛にあわせて行列する。6人の公家風装束をまとった稚児も連れ添って巡行に参加する。綾傘鉾は他とは違って、台車の上に傘が載った形をしている。場所は、綾小路通室町西入。
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函谷鉾は、歴史は古く、応仁の乱以前に起源をもち、長刀鉾と同様、くじ取らずの鉾として、第二番目に巡行する。中国の戦国時代に斉の孟嘗君は秦の昭王に招かれ、宰相に重用されたが讒言によって咸陽を脱出して、函谷関まで逃げた。ところが、関門は鶏が鳴かねば開かない。そこで孟嘗君は、家来に鶏の鳴き声をまねさせたところ、関門が開き難をのがれたという故事にちなんでつけられている。鉾頭に山形の白麻を張り、先頭に三日月が上向きにとりつけられている。これは、山中の闇をあらわすといわれている。真木は22メートルで上端近くには孟嘗君が、その下には雌雄の鶏が祀られている。場所は四条通烏丸西入。
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一番早くに創建された鉾で、くじ取らずで、唯一稚児が乗る山鉾。巡行の際は常に先頭を受け持つ。創建は、嘉吉元年(1441年)であろうという説がある。命名は、鉾頭に刀剣工三条小鍛冶宗近作の大長刀を飾っていることからこの名がついた。現在は模製に替わっている。長刀は三条小鍛冶宗近の娘の病気平癒を祈願して八坂神社に奉納したもので、鎌倉期にある武人が愛用。しかし何かと不思議な事が起こり、返納された。大永2年(1522年)に、疫病が流行し、神託により長刀鉾町で飾ったところ、疫病は治まった。真木は全長20メートル。鉾頭の長刀の刃先が前方に向かずに必ず右方向(向かって左側)に向けることとなっている。これは、古来御所と祇園社の方向(右方は御所、前方は祇園社)を畏れてわざとこれを避けるためと言われている。この鉾の屋根だけに鯱が飾られる。お城とは逆に外向きに付いている。場所は四条烏丸東入る。
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大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭りの一つである「京都祇園祭」。祇園祭は八坂神社の祭礼で、その歴史は長く、(途中応仁の乱や第二次世界大戦などで中断)約千百年の伝統を有する。昔は祇園御霊会と呼ばれていた。貞観11年(869年)に日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、疫病退散を祈願し、日本全国の国の数の鉾66本をつくらせ、その崇りを沈めるために祇園御霊会を行ったのが始まりと伝えられている。7月13日~7月16日の宵山は、屏風祭の異名がある。各山鉾の駒形提灯に灯がともり、鉾からは祇園ばやしが奏でられる。山鉾町の各町会所では、山鉾を飾る豪華なご神体、胴懸などを展示する。祭のハイライトは17日に行われる32基の山鉾巡行で、これらの山鉾のうち29基は重要無形民俗文化財に指定されている。午前9時に四条烏丸から長刀鉾を先頭に四条御旅所に着輿する。
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