2006年09月06日
青蓮院
青蓮院は天台宗三門跡の一つで粟田口御所と呼ばれている。もと比叡山延暦寺座主のお住まいで、代々の皇族方が法統をつがれた。伏見天皇の皇子尊円法親王は書道にすぐれた方で、青蓮院流をはじめ、御家流、また栗田口流の祖としてしられている。また鎌倉時代には「愚管抄」を著した慈円もこのお寺の住職で、境内北の植髪堂は、親鸞が9歳の時に慈円に得度をしてもらったことに由来している。境内は、尊融法規王が幕末に勤皇の志士と会見した叢華殿、光格天皇が仮皇居として住んでいた時に学問所としていた好文亭、室町時代の相阿弥作の小御所から白書院に広がる庭園、小堀遠州作の霧島の庭など約3万平方メートルに及ぶ。寺宝には、「青不動」で知られている不動明王二童子像をはじめ書画多数が重要文化財に指定されている。
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2006年09月03日
知恩院
知恩院は約20万平方メートル、華頂山の一山のほとんどを境内とする、浄土宗の総本山にふさわしい大寺院である。承安5年(1175)に法然上人がこの地に庵を結び布教をされ、建暦2年(1212)になくなられた由緒ある土地に、法然の法弟、源智が諸堂を興して四条天皇より永世勅願所の宣旨を賜ったのが、その起こりと言われている。三門はわが国最大で、高さ34メートル、重層、入母屋造の本瓦ぶきである。伽藍はすべて江戸初期のもので、桃山文化の華やぎが感じられる。
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2006年08月29日
長楽寺
長楽寺は双林寺の東にあり、双林寺と同じ頃の創建と言われる。ここは、大原寂光院に住んだ建礼門院徳子が尼になった所である。ここの墓地には、頼山陽夫妻の墓がある。
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長楽寺
長楽寺は双林寺の東にあり、双林寺と同じ頃の創建と言われる。ここは、大原寂光院に住んだ建礼門院徳子が尼になった所である。ここの墓地には、頼山陽夫妻の墓がある。
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2006年08月28日
双林寺
双林寺は由緒のあるお寺で、最澄が延暦24年(805)に恒武天皇の勅願で創建したと言われる。支院を数多く持つ巨刹であったが、応仁の乱などで衰えた。円山公園を作る際には、境内のほとんどを円山公園に割いてしまった。本尊の薬師如来坐像は重要文化財になっている。
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2006年08月14日
芭蕉堂
芭蕉堂は、西行庵の隣にある。この地を訪れた芭蕉が“しばの戸の 月やそのまま あみだ坊”と詠んだことにちなんで天明6年(1786)に建てられた。毎年11月11日に芭蕉忌が開かれる。
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2006年08月12日
西行庵
西行庵は西行法師が一時草庵を結んだ所といわれており、明治に入って、富岡鉄斎らが庵を再興した。西行法師をしたっていた頓阿上人が「草案集」を著した所ともいわれている。毎年4月15日には、西行が“願わくば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ”と詠んでいた西行桜と呼ぶ桜の下で花供養が開かれるそうである。
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2006年07月30日
おけら祭り
おけら祭りは八坂神社の行事である。お正月を迎える行事で、大晦日から元旦にかけて行われる。浄火という、木をこすり合わせて作った火を12月28日に金灯籠に移す。大晦日になると拝殿でかんな屑に、おけらと呼ぶ薬草をくわえて、浄火をなげ、この火を参拝の人々は火縄につけ、火縄をふりながら家へ帰る。この火を持ち帰った人々は、この火で神棚の燈明をつけ、お雑煮を祝う。おけらは独特の香りがあって、この匂で病気の神を追い払うことができるといわれている。
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2006年07月26日
南座
南座は、四条大橋の近くにある、わが国で最も古い劇場である。毎年師走には、歌舞伎の顔見世興行が行われる。歌舞伎の基礎は、出雲の阿国が念仏踊りから、かぶき踊りを創ったことである。その阿国が慶長8年(1603)に、鴨川の河原で念仏踊りを興行した。それから四条河原には6軒の芝居小屋ができた。幕末には、南座と北座の二座になり、明治27年の四条通りの拡張で、南座だけが残った。南座の西には、昭和28年に歌舞伎発生350年を記念して建てられた、阿国歌舞伎の発祥地の碑がある。
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2006年07月13日
八坂神社
八坂神社は平安時代よりずっと以前から祀られていた古いお社で、貞観年間(859年~877年)に厄病の守り神といわれる牛頭天皇を祀ったところから、祇園精舎と呼ばれるようになった。地元の人は「祇園さん」と呼んでいる。明治元年の神仏分離令により、八坂神社と改められた。現在ある本殿は祇園造りという建物で1654年に徳川四代将軍家綱が寄進したもの。楼門、石鳥居、末社蛭子社社殿は国の重要文化財。八坂神社といえば、祇園祭り。天禄三年(972年)、京の都に疫病が流行し、疫病は怨霊のたたりだといわれ、疫病を退散させるために、市内に66本の鉾を建て、神泉苑で悪疫封じの「御霊会」をおこなったのがはじまり。毎年7月1日から1ヶ月の間行われる。また、厄除け、商売の神として有名で、大晦日の夜から元旦にかけて西楼門前は多くの初詣客で賑わう。
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2006年06月27日
建仁寺
建仁寺は、建仁2年(1191年)に源頼家が栄西を開祖として建てたお寺で、臨済宗建仁寺派の大本山。京都五山の第3位に位する格式のあるお寺。建仁寺は昔、六波羅蜜寺とも地つづきの広大な広さをもち、塔頭の数も64もあったらしい。幾度かの火災で焼け、天正年間(1573年~1592年)になって、安国寺恵瓊が再興した。勅使門、清水池、法堂、三門、方丈が並んでいる約10万平方メートルの広い境内には、東山名物の美しい音色の鐘が響き渡る。寺の内には有名な俵屋宗達の「風神雷神図」などがある。塔頭の両足院には、日本で初めてお饅頭を作ったという中国人の林浄因のお墓がある。境内の北の端にある塔頭の正伝永源院には、織田信長の弟で、茶人としても有名な織田有楽斎のお墓がある。寺の西側には、建仁寺垣として名高い竹垣がある。
栄西は比叡山で修行を積んだ天台宗の僧侶だったが、27歳の時に宋に渡り南宋禅に触れて帰国。47歳の時にはインドへ行こうとするが、インドには行かず、南宋の首都杭州で臨済禅を学んで帰国。当時は真言宗と天台宗の世の中だったため、新興の宗派である禅を広めるために、かなり苦労したらしい。また栄西は、中国からお茶と畳を伝えた人物でもある。普通、お茶の元祖といえば栂尾の高山寺の明恵上人と言われているが、実は栄西からお茶の実をもらったというのが真相らしい。
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2006年06月10日
法観寺(八坂塔)
法観寺は八坂塔で名高い。八坂塔は高さ40メートルである。法観寺は京都市内で最も古い寺院といわれ、飛鳥時代の崇竣天皇の頃、聖徳太子の創建と言われている。四天王寺式の伽藍配置をもった大きなお寺であったようだが、現在は、室町時代(永享12年)に足利義教が再興した八坂塔と呼ばれる五重塔と太子堂、薬師堂しか残っていない。
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2006年03月26日
清水寺
北法相宗の大本山は、139本の柱で支えられた「清水の舞台」で名高い本堂が見どころである。錦雲渓は新緑の頃とともに、秋は美しい紅葉を見ようという人々で賑わっている。このお寺の起源は、賢心というお坊さんが夢にお告げを見て庵をここに結んだのがはじまりである。狩りに来た坂上田村麻呂がこの賢心に帰依し、延暦17年に寺の土地を寄進して北観音寺とした。桓武天皇も堂塔を建て、延暦24年に清水寺とあらためられた。だが、平安末期頃、本山の興福寺と延暦寺が犬猿の仲だったことから、延暦寺に属していた八坂神社と清水寺がぶつかりあい、叡山の僧兵たちによっての焼き討ちに遭った。いまの本堂は国宝で、江戸時代の寛永10年に徳川家光が再建したものである。「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があるが、これは思い切ってものごとをやるたとえであるが、「宇治拾遺物語」には清水の舞台から本当に飛び下りた人の話がある。ある時、検非違使の忠明が清水の境内で若者たちと口論していたところ、相手方は刀を抜いて切りかかってきた。多勢に無勢、ここは逃げたほうが賢明と、本堂へ駆け上ったが、舞台上には反対側へまわった相手が待っていた。忠明は堂内にあった衝立を持って、11メートルもある舞台から飛び降りたのである。清水寺の本坊「成就院」は池泉回遊式の名庭として知られ、またの名を「月の庭」という。また、「子安塔」といわれる清水本堂の南、錦雲渓を隔てた山の上にある三重塔は、安産をお祈りするとよいということである。経堂の前にある「舌きり茶屋」のいわれは、西郷隆盛と成就院の住職だった勤皇僧の月照が薩摩に落ち延びる時に、お供をした近藤正慎が捉えられ、拷問を受けたが、行く先を明かさず、ついに舌を噛み切って自殺を遂げるということがあり、正慎の妻が開いた茶屋である。となりの「忠僕茶屋」は月照の忠僕だった重助という人が牢屋から出されて始めたということである。本殿前の「めくら石」は目をつぶって渡れば願いがかなうと言われており、本堂のすぐ後ろにある、「地主神社」は清水寺の鎮守で、地主権現と親しまれている縁結びの神様である。
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高台寺
高台寺は霊山観音の北隣にあり、正しくは高台寿聖禅寺という。豊臣秀吉の正室北政所(ねね)は母旭日局を弔う為に康徳寺を寺町に建てたのがその起こり。後に豊臣秀吉がなくなってから北政所(ねね)は、尼になり秀吉の菩提を弔う為に、康徳寺を移して「高台寺」とした。再三の火災で創業以来残っているのは、開山堂、霊屋、傘亭、伏見城から移してきた表門、観月台、時雨亭などわずかで、国の重要文化財に指定されている。霊屋には、土佐光信の三十六歌仙図や、須弥壇と厨子の高台寺蒔絵として有名な蒔絵が描かれている。厨子は2つあり、秀吉と北政所(ねね)の坐像を安置している。高台寺の塔頭の円徳院は、伏見城の化粧殿を移築したもの。方丈の襖絵は、長谷川等伯の作といわれる山水図三二面で、国の重要文化財に指定されている。秀吉の念持仏といわれる、毘沙門天、弁財天、大黒天の三天合体の三面大黒天もここにある。
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