吉田山
吉田山は真如堂の西にある。標高100メートル余りで、神楽岡とも言われる。山の西側の中腹から山麓にかけては吉田神社となっている。旧制第三高等学校の寮歌で歌われている。 「三高寮歌」 紅もゆる 岡の花 さ緑におう 岸の色 都の花に うそぶけば 月こそかかれ 吉田山
カテゴリー: 岡崎界隈
吉田山は真如堂の西にある。標高100メートル余りで、神楽岡とも言われる。山の西側の中腹から山麓にかけては吉田神社となっている。旧制第三高等学校の寮歌で歌われている。 「三高寮歌」 紅もゆる 岡の花 さ緑におう 岸の色 都の花に うそぶけば 月こそかかれ 吉田山
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永観堂は正式には浄土宗西山禅林寺という。平安時代の中頃に永観律師が入山して、浄土念仏をひろめたことから永観堂の名がついたとのことである。奥深い境内は約三万平方メートルもあり、楓や松などの老木が多い。本尊の阿弥陀如来は「見返り弥陀」と呼ばれる、首を左後方にふり返った珍しい姿で知られている。重要文化財となっている「釈迦十大弟子像」、「十六羅漢図」などの絵画も多く、国宝の「金銅蓮華文磬」は仏具の逸品である。
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金地院は、応永年間(1394)、大業徳起が北山創建したものを、慶長の初めに以心宗伝が現在の場所に移した。以心宗伝は徳川家康の政治顧問をつとめ、10万石の大名の待遇を与えられ、「黒衣の宰相」とも呼ばれるほどの力を持っていた。晩年、増改築を行い、現在の建物はその時のものである。方丈は伏見城の遺構と伝えられている。室内の襖絵は狩野派の元信、探幽、尚信、雪信が描いたものである。方丈の北には三畳台目の茶席、八窓席があり、小堀遠州好みの特徴ある造りになっている。家康を祀った東照宮は、寛永5年(1628)に造られたもので、京都に残っている唯一の珍しい権現造様式である。庭園は、正面に鶴島と亀島があることから、鶴亀の庭と呼ばれている。これも小堀遠州の作である。
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赤煉瓦づくりの水路閣(水道橋)は南禅寺の庫裏の少し前の木立の中に見える。盆地である京都は水の問題で頭を悩ませていた。そして、交通と産業の面から考えだされたのが、「疎水の水」で琵琶湖の水を三井寺あたりからひきあげて、一方は南禅寺、一方は動物園へ切っておとし、さらにその水を伏見につなぐという大事業であった。京都府知事北垣国道の命をうけ青年技師田辺朔朗が設計をし、明治18年から5年の歳月をかけて完成した。この水路で京都の産業界は大きく変化をとげ、世界で二番目に早いという水力発電所も作られた。
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南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山であり、正しい呼び名は太平興国南禅寺である。格が高く、建武二年には京都五山の第一とされたが、足利義満が京・鎌倉五山十刹を定めたときに五山の別格として、その上に位した。正応4年、亀山上皇が離宮をつくり、そこをお寺にしたが、その後しばしば火災に遭い、江戸時代の初期に昔の姿を取り戻したとのことである。境内には南禅院、天授庵、金地院のほか九つの塔頭があり、中でも金地院は南禅寺を復旧した僧崇伝のいたところで、方丈は伏見城から移したものと言われている。狩野派による各部屋の襖絵は有名で、茶室八窓席は小堀遠州の作と言われ重要文化財に指定されている。
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時代祭は平安神宮のお祭で毎年10月22日に行われる。葵祭、祇園祭と共に京都三大祭りの一つである。この行事は、桓武天皇が平安京に入られた日を記念して行われ、各時代の代表的な風俗をあらわし、行列は先頭が「勤皇鼓笛隊」で新しい時代から古い時代へと編成されている。なかでも、皇女和宮、蓮月尼、吉野太夫、出雲阿国、淀君、阿仏尼、巴御前、静御前、和気広虫、小野小町、紀貴之の娘、清少納言、紫式部、常盤御前、横笛といった「女人列」が呼びものである。
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平安神宮は京都全市の総社として、また、市の祖神して敬われている。明治28年に平安遷都1100年祭を行うため桓武天皇を祭神として建てられた。応天門という丹塗りの大きな門を入ると、白砂を敷きつめた庭の正面に、平安京大内裏の正庁だった朝堂院を八分の五に縮めたという大極殿がある。左右にのびた回廊の先には東の蒼竜楼、西の白虎楼の二つの楼閣があり、大極殿の後ろの本堂は火災で焼失したが、すぐに再建された。庭園は、日本式の庭園として名高い回遊式の神苑である。
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京都国立近代美術館は昭和38年4月に東京国立近代美術館の京都分館として開館し、昭和42年6月に現在の京都国立近代美術館となった。この美術館では近代美術の紹介に力を入れている。近代美術館の西側には京都市勧業館があり、京都市で作られる商品の展示がされている。近代美術館の北隣には、京都府立図書館があり、図書館の北側広場には、明治時代の日本の工業技術の進歩に尽くしたドイツ人ワグネルの記念碑がある。
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京都市美術館は、昭和8年11月に開設された。市の主催の公募展や、海外の芸術家の展覧会、美術団体の展覧会などが開かれている。そのほか、収蔵されている、現代作家の作品が随時公開されている。
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明治23年(1890)の疎水開通をさかいに平安神宮ができ、京都動物園、そして岡崎公園が明治37年(1904)に博覧会場跡に開園した。その後岡崎では、京都府立図書館、京都市美術館、京都会館、国立近代美術館の開園と続いた。岡崎は平安時代の末期には「六勝寺」と呼ばれる寺々が達ち並んでいたということで、今でも、法勝寺町、成勝寺町、最勝寺町、円勝寺町などの町の名に名残を残している。
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平安博物館は京の古代史、原始時代から平安京までのことが何でもわかる博物館である。平安期の貴族の生活ぶりなどが、展示と講座でわかりやすくなっている。博物館の建物は、明治中期の洋風建築としても貴重なものとして重要文化財にしていされている。この建物はもと日本銀行京都支店である。明治36年に着工し、933日をかけて出来上がった。辰野金吾の設計である。明治の建物で同じ煉瓦造りのものが取り壊されている現在、少しでも長生きをして遠くなった明治をしのばせてほしいものである。
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