2006年02月09日

二条陣屋

神泉苑のすぐ隣に陣屋がある。名前からもわかるように、二条陣屋は、大名の宿舎になっていた建物であるが、もともとは町屋で、江戸時代前期の寛文年間に建てられ、重要文化財となっている。
二条条の御用商人よろず屋平衛門により建てられ、外側は防火対策として、土蔵造りになっている。各部屋は大名の宿舎らしく立派なもので、一部三階の二階建てになっている。そして大名を敵から守るために、つり梯子、落とし階段、抜け穴、隠れ場所など、様々な工夫がこらされ、忍者屋敷の様である。ここは、よろず屋の小川氏の代々の家で、現在も子孫の方の住居となっている。

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2006年02月07日

神泉苑

二条城のすぐ南にある神泉苑は御池通りの命名の由来となっている。この神泉苑は、平安京造営の頃の唯一の遺跡という大変貴重なものである。神泉苑は天皇の御遊地だった所である。現在の姿から想像できないが、当時は東西200メートル、南北400メートルの敷地に大きな池が広がり、池には船が浮かび、いろいろな宴が繰り広げられ、苑内には鳥や獣も多く狩猟地ともなっていた。天長元年に弘法大師が雨乞いの祈祷をして雨を降らしたということから、ここは雨乞いの場所となった。貞観十一年に悪い病気がはやった時に、祇園の社の神さまの祟りとして、人々は六六本の鉾を立てて、ここにやってきて疫病退散の祈願をした。これが祇園祭の始まりである。この神泉苑は鎌倉時代から次第に荒れはて、徳川家康が二条城を築城するにあたって、この神泉苑の大部分を城の予定地に入れてしまった為、見る影もなくなってしまったのである。二条城の庭園の池にここの水を役立てるためであろう。神泉苑は現在、本堂には聖観音を安置してあり、東寺に属している。弘法大師の雨乞いの時に、祈祷によってお迎えした善女龍王が池の中の島にお祀りしてある。

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2006年02月06日

二条城

徳川家康が上洛する時の宿舎として造られたお城であるが、内外共に贅を尽くした造りになっている。
東西約五百メートル、南北四百メートルの広い敷地に入る御殿正門の唐門は、重要文化財に指定されているが、二之丸御殿とともに桃山時代に完成したものである。狩野派のふすま絵と共に国宝に指定されている二ノ丸殿は、車寄せ、遠侍、式台の間、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院、台所、御清所などで構成されている。桃山文化の粋と幕府の権勢をしのばせる豪華なものである。二之丸庭園は二之丸御殿とほぼ同じ頃に、小堀遠州ら五人の指導のもとに作られたと伝えられている。建物の要所要所から観賞できるようにと配慮された八陣の庭と名付けられている。寛永三年に御水尾天皇を迎えるために造営された本丸は、天明八年の天明の大火で焼け落ちてしまい、明治二十六年に、京都御所旧桂宮家の御殿が移されたものである。
二条城は家康と秀吉との会見の場所として、大阪冬の陣、夏の陣の作戦本部として、そして慶応三年の大政訪環などの大舞台となった。

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