等持院
京都十刹の一つに数えられる、万年山と号する足利尊氏歴代の菩提寺。足利尊氏が暦応2年(1339年)に、夢想国師を開山に仰ぎ、三条高倉に創建した等持寺が起こり。延文3年(1358年)足利尊氏が亡くなった時に等持院と号し、等持寺も合併された。方丈の東と西に、夢想国師の作といわれる池泉回遊式庭園がある。また、等持院は、水上勉の「雁の寺」でも知られている。
カテゴリー: 衣笠界隈
京都十刹の一つに数えられる、万年山と号する足利尊氏歴代の菩提寺。足利尊氏が暦応2年(1339年)に、夢想国師を開山に仰ぎ、三条高倉に創建した等持寺が起こり。延文3年(1358年)足利尊氏が亡くなった時に等持院と号し、等持寺も合併された。方丈の東と西に、夢想国師の作といわれる池泉回遊式庭園がある。また、等持院は、水上勉の「雁の寺」でも知られている。
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応永元年(1394年)足利義満が北山殿を造りはじめた。将軍職を9歳の義持に譲り、みずからは太政大臣となった時。この北山殿は西園寺公経が、元仁元年(1224年)に山荘を造り北山殿といっていたものを義満が買い取って造り直したもの。義満が全盛期に建てた別荘なので、労力、金銭も惜しみなく使った。義満の死後、禅寺として夢想国師を招いて開山とし、義満の法号(鹿苑院太上法皇)から鹿苑寺とよぶようになった。衣笠山を背景に三層の金閣は、1階は寝殿造、2階は武家造、3階が唐様の仏間になっていて、当時は3階だけが金箔ばりだったらしい。兵火によって焼失、再建された建物の中で、ただ一つ残っていた金閣寺も、昭和25年に放火によって焼けてしまい、昭和30年に再建された。鏡湖池を中心とする庭園は浄土庭園で、鏡湖池に映る金閣寺は見事なもの。鏡湖池には、「細川石」「畠山石」など大名の名を残す名石があり、義満の権勢をしのばせている。
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